ニコ二胡アレクサンダー

中国民族楽器の二胡にハマって学びを深めるうちに知った、アレクサンダー・テクニークについての探求の日々

新しいスキルを積み上げるには

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楽器演奏において、新しいスキルを積み上げて行くにはどうすれば上手く行くのでしょう?

ことにそれが今まであまり経験のない技術だった場合には、夢中になって集中するあまり、ついつい自分を緊張させて取り組んでしまう事がありませんか。

先日、キャシー・マデン先生のオンラインレッスンを受ける機会があった時に、このテーマをレッスンしていただきました。

新曲で取り組んでいる新しい動き→特定の場所で、一瞬弓を止めて弦をハジく(pause and plunk)を見ていただきました。速度も非常に速い箇所なので、何をすべきかわかっていないと意図する事とは違う事をやってしまったりします。

一度私が演奏するのを見た後、キャシーは「その部分は曲の中で具体的にどういう風になっていく所なのか説明して」と言われたので、私は「音は音程がオクターブの関係の音が出て来るだけなのでそんなにバリエーションはないのですが、音が1つ2つと徐々に増えて行って、速くなって、大きくなって、音の密度が増えて行き、テンションが上がって行く所です」と答えました。

するとキャシーは、その「弓を止めて弦をハジく」"pause and plunk"の場所で、ここにいるみんなをコチョコチョとくすぐるとしたら?という提案をして下さいました。

そして2度目に演奏を始めたら、1度目よりは他の箇所と問題の箇所に、ずっと繋がりが出て来たのがわかりました。可笑しくて途中から笑いながら弾いていたにも関わらず、キャシーは「いつものような fluency(流暢さ、よどみなさ)が出て来たわね」と仰っていました。

他にも「近所の猫ちゃんたちに挨拶をして回ると思って弾いてみたら?」というご提案もあり、これもイメージしたら楽しくて笑ってしまったのですが、やはり全体が統合して動くという事に役立ちました。

この「音あるいはフレーズを何と思って弾く」という具体的なイメージは、鍛えようとしているスキルの方へ行き過ぎるのを抑制してくれます。
意識がそこへ集中し過ぎると身体も固くなるものです。

新しいスキルを磨く練習の過程で、このように全体性を持ったまま出来るようになっても、やはり不慣れな動きのある所はすぐに出来るようになる訳ではないのですが、初めから全体性を失わずに練習をした方が良いということなのです。最初から whole(全体)なのです。

これまで、苦手な所や初めての技術を練習する時には、もっと分けて考えていた気がします。むしろそうしなくてはならないとすら思っていました。
でも練習と演奏(パフォーマンス)は分けない方が良いのですね。
初めから全体性や統合性を持ったまま、スキルを磨いて行くことも可能だし、初めから全体性があるからこそ、その練習はそのままパフォーマンスで表現したい事へと繋がって行くんだなと、改めて実感しました。

なぜ「お願いして〜」なのか?

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「頭が動いて自分全部がついて来る事を"お願いして"〜(自分のやろうと思う事を)する」
アレクサンダー・テクニークでは、すぐさま物事をやろうとする代わりに、このような言葉を、先に自分自身に言ったり、思い浮かべたりしてから取り組みます。

「すぐさまやってしまう」と、これまで何度もやって来た、習慣的なパターンを繰り返してしまうから。

脳は何度も繰り返しやる事を、いちいち考えてやらなくても良いように、習慣化するという機能を備えています。これは普段の生活の中で必要な機能です。

例えば、毎日歯を磨くという行為は、子供の頃に教わって自分で初めてやるようになった頃は、ひとつひとつ手順を考えながらやっているかも知れませんが、だんだんと、他の考え事をしながら、あるいは歩きながらでも出来るようになります。習慣化することによって、脳に余地が生まれるのです。それによって脳は、たくさんの仕事を一度にこなせるようになるというわけです。

ところが、これまでとは違うやり方を選びたい時には、これまでと同じやり方でやっていては上手く行きません。

そこで、すぐさまやらずに、一旦立ち止まる必要が出てきます。
そして冒頭で出て来た「頭が動いて自分全部がついて来る事」をお願いするのです。

なぜ直接的に「やる」とか、「する」ではなく間接的な「お願い」なのか。

私も、学び始めた時はとても不思議でした。
学びを積み重ねて行くうちに、徐々にわかって来たことがあります。

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前回の記事https://nikonikoalex.com/entry/2021/03/08/220029
で書いたように、頭と首の関節の位置は、直接触れる事も、感じる事も出来ない場所にあります。

それから、「やろう」とする事は、これまでのパターンを呼び起こしてしまったり、部分的なところに注目し過ぎてしまったりして自分全体の統合性を欠いてしまいがちです。

これらの理由から、「お願いする」という言い方で言って、自分の頭の位置を思い浮かべ、周辺の筋肉を緩めて、その後は変化が起こるように任せるというやり方が、実は一番大きな変化を起こす事ができるという事なのだと思います。

頭はどこから?

「頭」と言った時に、それはどこの事を指すと思っていますか?…と聞いたら、顔全体やアゴの辺りを指す人、首の後ろあたりを指す人、おデコの辺りを指す人、と人によって様々だと思います。

アレクサンダー・テクニークで「頭」と言う時には、頭蓋骨とその中にある組織や頭蓋骨の周りの筋肉群の事を含めて頭と言っています。

それでは「首」はどこからが首でしょうか?
人の顔を正面から見ると、首は少ししか見えませんが、果たして見えているだけの長さしかないのでしょうか?
首の長さが実際にはどのくらいあるかなんて、普段の生活の中では考える事もないかも知れませんね。

さてこの図を見てみましょう↓
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首には7つもの骨があります。
C7と書いてある骨から、上に向かって7つが首の骨です。

環椎と呼ばれるC1の骨の上に、頭蓋骨が乗っています。左右の耳の穴から少し下の所をずっと繋いだ真ん中あたり、前からだと鼻の穴の奥の方に、頭と首の境目があります。

図で見ていただくとわかるように、後ろでもなければ、前でもなく、真ん中あたりになります。
感じる事も触れる事も出来ない場所ですが、この位置関係が非常に重要なのです。

ここが、脊椎(いわゆる背骨と呼ばれることもある、胴体の中心を貫いている骨で、首の頚椎から尾骨までの骨を指します)と頭が接している位置なのです。

頭を胴体の方へ押し付けられると、胴体だけでなく、そこから繋がっている、手足の動きまで悪くなってしまいます。
逆に、頭が胴体から離れる方へ動くと、胴体や手足の動きは、負荷が減る分動きやすくなるのです。

これがアレクサンダーが発見した原理のひとつです。

このような事は、例えば緊張してぐっと力が入ってしまった時などによく起こることですね。

どこまでを頭と思っているかによって、動かし方は変わりますので、その正確な位置関係を把握しておく事はとても大切なのです。

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頭と首の接点は、思っていたより上でしたか?下でしたか?思っていたより奥でしたか?

このように自分がこうだと思っている自分の身体と、実際の身体のデザインにはギャップがある事が多いのです。そのギャップを埋めていく作業がボディマッピングです。

(引用させていただいた絵はすべてDavid Gorman著 "The Body Moveable"からです)

意欲があり過ぎると上手く行かない?

f:id:nikoniko-alexander:20210307010234j:plain「やろう」とする意欲が強いと、それは刺激になります。刺激が強いということは、これまでやって来たパターンを繰り返してしまいやすいということにも繋がります。

すると、変化を望めば望むほどゴールから遠ざかってしまうような感覚を持つことがあります。

それでは変化のために「意欲」はむしろない方が良いんじゃないかという気がして来ます。

そんな悩みの中にいた時に、アレクサンダー・テクニークの先生であるキャシー・マデン先生にその事を質問しました。

Q.やろうとする意欲が強すぎてうまく行かなくて困っています。できない所を力技でねじ伏せようとしてしまっている傾向があるような気がするのですが…。

A.意欲は必要です。
馬にいかに上手く乗れたとしても、乗馬したいという意欲がなければ、やっている事に意味はないのです。
"Kindru" so that my head can move and my whole self follows…
訳:カインドルーして、それによって私の頭が動けて私の全体がそれについて行って…

change(変化)がなぜ起こるか…why(なぜ)については知る必要はないのです。

(Kindru→カインドルーというのはキャシーの造語で、これは不定期に別の言い方に変わることもあります。特定の意味を持つ言葉を使ってしまうと、人は様々な解釈で捉えてしまうので、敢えて意味を持たない言葉を彼女は作っているのです。何を指しているかというと、「頭が脊椎と頭蓋骨の関節のところにふんわりと乗っかった状態でいられるようお願いしている」という意味を含みます。
これはアレクサンダー・テクニークの基本的な考え方の中にあるもので、頭が自由に動ける状態が、身体や心のその他の部分に本来の動きやすさをもたらすという原理から来ています。)


カインドルーしてから出来ることは、一つ一つどうするかを見ていくこと。明確さを持って。
それによって練習の仕方が変わります。
「意欲」を変化するためのパワーに変換出来るようになって行きます。

演奏のために座るという事

f:id:nikoniko-alexander:20210304221026j:plain日常生活で、座ったり立ったりといった動作は何度も繰り返していますが、ほとんど意識することはないと思います。
あまりにもそのやり方に慣れ親しんでいるので、さてあなたは普段どうやって座っているでしょう?と言われても、ピンと来ない方が多いと思います。

こういった日常の動作を意識的にやる、というのがアレクサンダーテクニークのワークのひとつです。
意識的にやることによって、自分が知らずに積み上げて来てしまった習慣的な動きのパターンを、もっと身体のデザインに沿った動きに変えていく事が出来るようになっていきます。

前回の記事https://nikonikoalex.com/entry/2021/03/03/180331で書いた、色んなイスに座って演奏するという実験を、先日レッスンの時に、新たな気持ちでやってみる機会がありました。

演奏する前にまず、座るとは?立つとは?歩くとは?
歩くにしても「歩こう!」と思う意欲が邪魔をして歩けない!
座るにしても「座ろう」とする意欲、「座る」という事に対する刺激が邪魔をして座れない!

「楽器を演奏する」というような刺激の強いアクティビティをいきなりやると、いつものパターンを抑制する事が出来ないから、アレクサンダーはイスから立ったり座ったり、というようなシンプルなワークを繰り返しやったそうです。

自分でやってみて、本当に刺激が強いわ〜💥と納得。

果たして私はこのレッスンの間に、やりたいアクティビティまで到達出来るのか不安になって来ました…(笑)💦

ここでアレクサンダーの先生は、私の持っている常識を打ち壊すような身体の使い方を手によって教えてくれます。これをハンズオンと言います。
傍から見ていると、教師がそんな大きな変化を与えているようには見えないのですが、手を置かれている方は、それはもう革命的な変化がある訳なのです。

今までやったことのないことをやるわけですから、変な感じがします。「え〜?本当にこんな事があり得るの?」と否定したくなるのですが、その変な感じこそが変化への第一歩なのです。

今まで思ってもみなかった方向に行かなければ、人間は変化することは出来ないのですね。

アレクサンダーの先生に手助けしていただくと、自分一人では到達出来なかった世界に急に到達することが出来たりします。
でも、それを自分一人で出来るようになるには練習が必要です。また、教師の助けを得て到達出来た時の「感覚」を頼りにしていては、いつまで経っても出来るようにはなりません。そこへ至るまでの「考え」の方を磨く必要があるのです。

レッスンの中で教師の助けを得て、どうにか自分自身を整え、椅子の実験に挑んだレポートです↓

【イスの実験】
①座面が高くて、つま先立ちにならないと座れないようなイス→二胡の位置や角度がいつもと違うので、最初は左足を膝から胴に引き寄せるようにしてバランスを取った。どんなに座りにくくても、頭が上に行き続ける事をまず思うこと。それに自分の全身がついて来ること。それのみならず、音を出す時に自分が広がり続けると思って演奏すること←これはパワーを出すのに大変助けになった。腕や手首のような小手先でパワーを作るのではなく、全身を使うということに繋がったから。
そんな事をしている内に、左足を立てておかなくても、演奏出来るようになって行った。
「自分が広がる」と思うだけで特定の場所で頑張らなくても面白いようにパワーが出る。

②バランスボールを固定してイスにした物→これは座りに行く時に恐怖心があった。フニャフニャして、上手く支えてくれないんじゃないかという不安。
①②どちらのイスに座るときもやっていた事は膝が前へ行き続ける事と、お尻も前へ行く事、座ってもその姿勢に収まるのではなく、動き続けられる体勢で居続けること。

②のイスは、座った後も脚の筋肉を使い続けていないとバランスを取ることが難しかった。
弾き始めると、固定されていない分、骨盤や脚は動かしやすかった。先生が、さらに骨盤や脚を動かしに来て、座っていられない程バランスを崩したように感じたが、不思議な事に、その事によって自分で思っていた程には演奏自体は乱れていなかったらしい。

【実験の結果わかった事】
・座りにくいと思うようなイスでも、身体の使い方によっては、パワーを発揮する方法はある。
・自分で思っている以上に、こんなところまで〜?というくらい自分の常識を打ち破ってやらないと本当に望むような変化は起こせない。


結局、自分の使い方さえ上手く出来ていれば、どんな椅子だろうと演奏出来るという事ですね…。

椅子を選べないとしたら?

f:id:nikoniko-alexander:20210303175515j:plain前回は演奏に使う椅子について書きました。
https://nikonikoalex.com/entry/2021/03/02/235051
ここで疑問が生じる訳ですが、自分のレッスン室のイスにはこだわれますが、もし演奏会場で用意されているイスが、座りにくい形のもので、それでも演奏しなければならない場合にはどうすれば良いのでしょうか?

以前、アレクサンダー・テクニークのレッスンで、あらゆる形のイスに座りながら演奏する、というワークをしていただいた事がありました。

例えば座面の前の方が高くなっていて、骨盤が後ろへ倒れてしまうようなイス。これは、普通に座ると上半身がズルズルと後ろへ倒れて行ってしまうので、座る位置、つまり坐骨を置く位置を出来るだけ前寄りに置くよう工夫すると、演奏するのに適した状態に自分を持って行く事が出来ました。

床に足が届かないようなイス。
これは足で体重が支えられないので、上半身の脊椎と骨盤との関係性が上手く行っているかが鍵となります。

座ると沈み込んでしまうイスや、床に直接座って弾く、というのもやったと思います。これもどこに体重が落ちるのか、膝などの関節が痛くないやり方など、工夫が必要ですが、演奏が出来ないということはありませんでした。

色々なパターンを試してみて見えて来たのは、「何さえあれば、演奏出来るのか」という一番シンプルな部分。

どのようなイスに座るにしても、部分的な事をどうするか考えるのではなく、まず「頭が動いて自分全体がついて来ること」をお願いしながら座ると、頭と脊椎、骨盤の関係性は演奏に適したものになります。

すでに座った形でいて、姿勢を直したいなら、その時もまず「頭から動いて自分全部がついて来ること」をお願いしながら行きたい方向へ動いていく。

自分全体を協調して使えていると、不思議と何をするにも上手く行くものです。どうして上手く行くのかなどという事は考えなくても良いくらいに…。

椅子も楽器です

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念願叶って、自宅にレッスン室を作ることが出来ました。

その過程で、レッスン室に置く椅子を買いに行った時のこと…

 

私は、売り場中にある椅子に座って、座り心地を確かめていました。

あーでもない、こーでもない…と時間をかけて選んでいたら、一緒に売り場を回ってくれていた夫が、「ものすごいこだわりようやな~!」と目を丸くしているので、私は「椅子も楽器やから妥協できないんやで~」と返しました。

 

座奏する楽器にとって、座り方は演奏に影響します。

だから、身体を支えてくれる椅子はとても大切なのです。

例えば座面の高さが高すぎると、足で重心移動がやりにくいので、脚の動きを演奏に使いにくくなる。

座面が後ろに傾斜し過ぎていると、骨盤が後ろに倒れやすくなって、頭と脊椎の関係性を、演奏に必要な動きをするために優位に保つことが出来なくなる…etc.

 

立った姿勢から椅子に座るまでの動きも重要です。

その動作に入る前に、まず頭が動けることを考えて、自分全部がそれに協調して動けることを考え信頼します。そのプロセスが上手く行ったとしても、今度は椅子に座ったら「座った~」と思って落ち着いてしまうのか、それとも、そこからまだ動き続けられる協調状態で居続けるのか、瞬間瞬間に選び取っていくことが重要なのです。

 

二胡は、座って弾くことが多い楽器なので、座る事と演奏する事は、切り離すことが出来ないほど影響し合っています。

だから「椅子も楽器」なのです。