アレクサンダーの発見を学んでいると、「感覚を頼りにしてはいけない」と言われます。
例えば、レッスンで上手く行ったアクティビティがあったとして、その時感じた「感覚」を頼りにして再現しようとすると、必ずと言っていいほど失敗します。
なぜなら、感覚は後からやって来るものだから。
「感覚」を探しに行っている時点で、すでに前にやった時とは違う事になっている訳ですね。
そもそも人は、いつも同じ場所からスタート出来るわけではありません。
「いつものように」二胡を持って「いつものように」弾くというのは感覚的にやっていると思いますが、果たしてそれは本当にいつも同じようにやっているのでしょうか?
ある時は色んな事が上手く行かなくて、少しうつむき加減でスタートしているかも知れません。
またある時は良い事があったので気分が良く、自然に頭が上の方へ行っているかも知れません。
スタートする状態が違うのに、その位置から以前やった時の「感覚」を使ってやろうとしても、上手く行くはずがありませんよね。
「感覚」はフィードバックとして、結果として上手く行ったのか、そうでなかったかの判断基準には出来ます。
ただアクティビティをしている最中に探しに行くものではないという事なのです。
これと同じような事で、「ちゃんと出来ているか」をチェックしながらやってしまうという事があります。
これもまた、「チェックしに行っている」時点で、そのアクティビティに100%投入している状態ではなくなってしまいます。
それでは何を頼りにすれば良いのでしょうか?
「頼りにするもの」は感覚でないのは確かです。
やっている最中に「上手く行っている感覚」を感じられるものではないのですから。
何をやるべきか?
その瞬間瞬間に、ひたすら自分自身へ指示を送り続ける事を続けましょう、という事になります。
そうやって指示を送り続けることが出来て、上手く行っている時には、いわゆる「やってる感」や「上手く行っている感覚」は感じられないものなのです。
これはこれまで培って来た馴染みのある感覚からすると、ちょっと寂しい感じもするものではありますが…。