ニコ二胡アレクサンダー

中国民族楽器の二胡にハマって学びを深めるうちに知った、アレクサンダー・テクニークについての探求の日々

パトリック・ジョンソン先生のレッスン


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7月に受けたパトリック・ジョンソン先生のレッスン覚書。

 

パトリックはオランダのアレクサンダー・テクニーク教師であり、ピラティスにも精通した方です。
肩書を見てどんな先生かなぁ?と思っていたら、実際お会いしたらとても穏やかな方でした。

パトリック曰く、

「姿勢」とは何か。それは大きな議題である。それは私達が私達を支えるためにやっている事。ただどこか正しい位置に自分の身体を持って来れば良いということではない。どうやって私達が私達を上に起こしているか(keep ourselves "up")
どこで張りを作っているか、どこでより良くサポートされているか。
「姿勢とは動きのためのフレーム、動きのための構造のことである。」

例えばボール。空気のほとんど入っていないボールと空気を満タンに入れたボールでは、構造が違うから、落とした時にどう反応するかが違う。バネと、スチロールの円柱では、どちらも円柱の形をしているが、構造が違うから動かした時に違った動きが起こる。

 

その後、パトリックの誘導で、ゲーム感覚で姿勢や動きについての体験をさせていただきました。


自分の周りに空間が広がっている事を認識する・見えてない後ろ側の空間への意識・床からの上向きの方向性は天井へと向かっている・床から同じように上向きに立っているものを探す・例えば壁の四隅の稜線はそれぞれ上に向かって伸びている・同じように私の脊椎は、床から脚を通って垂直に上を向いている。

壁の横に立って壁に手をついてみましょうと言われた時、無意識にやっていると、壁に向かって寄りかかったりしていませんか?
頭と脊椎の出会っている所、脊椎と骨盤との繋がり、それらが床からサポートされている事を感じながら手は頭脊椎から離れて行くと思って動かして行くとどうでしょう。
その場所から一歩二歩と歩を進めて壁の方へ。それに伴って腕は折り畳まれて行きますが、頭脊椎を含む胴体と脚は垂直の上向きのサポートが途切れる事がありません。

色々体験させていただいて、新たに気付くことも色々ありました。

 

パトリックが「姿勢(posture)」とは、"A frame for movement"(動きのためのフレーム)であり、"A structure for movement"(動きのための構造)である、と説明されていたのが印象的でした。姿勢は、何かあるべき所に置く、というような静的なものではなく、常に動きの中にあるものなのですね。

 

このように、アレクサンダー・テクニークのレッスンは、同じような事に取り組んでいるようでいて、常に新しい発見があるものです。だから何年も学んでいても常に新鮮なのです。

2023年9月23日(土)13:00~16:00、アレクサンダー・テクニークを紹介するワークショップをさせていただきます。

ワークショップでは、アレクサンダー氏の発見(アレクサンダー・テクニークの原理と言われているもの)をご紹介させていただくと共に、皆さんが改善したい身体の動きやパフォーマンスにおけるお悩みなどを個別にレッスンして行きたいと思います。

アレクサンダー・テクニークは主体的に学ぶレッスンです。

ご興味の湧いた方はこちらまでお問い合わせくださいませ。

nikoniko03erhu@gmail.com


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明確な意図とご招待


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レッスン記録ー今日のジェレミーのレッスンにて。
観客の前で演奏する際の、「曲紹介を観客に話す→伴奏をかける→演奏する」の時の、流れが断ち切られる感じをなんとか一つの繋がった流れに融合させたい、という望みをもってアクティビティをしました。
実際にその流れをやってみる途中で、まず「話す」の段階でジェレミーに止められました。「そもそも曲の合間に話すのはなぜ?音楽はそれそのもので相手に伝える力があるものだから説明要らないんじゃないの?」

…確かにそうだ。なんでかなぁ?

●そもそも私は曲の合間に話したい訳ではない。むしろ、そんなのなければ良い、どちらかというと苦手だと思っている。
●ただ、だからといって曲を聞かされ続けたら、観客の立場としてはしんどいのかも知れないという懸念もある。
●イベントを企画した方から、「お話を交えながら演奏をお願いします」などと具体的に依頼される事もある。
等々…

考えてみると、色んな理由が浮かんで来ました。

ジェレミーは、私自身が「なぜ話す事が大事なのか」を考える必要があると言いました。
そこから出て来たのは、「曲の背景や表現しているものの情報を話し、共有する事によって、その曲についての具体的イメージがしやすくなったり曲の世界観に入りやすくするように観客を導く」という私なりの答えでした。
その答えを言いながら、はたと気が付いた事は、話している時から曲世界に観客の皆様をご招待しているのだ、という事。話している瞬間から、演奏で表現したい事はすでに始まっているという事でした。演奏と話す事は、同じ意図を持っている。なのに私は分けて考えてしまっていたので、流れが分断されていたのでした。
その後、「話す→伴奏かける→演奏する」までの流れをやってみたのですが、話す時に演奏と一致した意図を持って話す事が出来たので、観客の皆様をご招待し続けながら話す事が出来、言いたい事もスムーズに出て来ました。伴奏をかける時は、「十分に必要な時間を取って」とジェレミーが声を掛けてくれたので、落ち着いて演奏まで繋げる事が出来ました。
明確な意図を持っている事で、観客をご招待する事も自然とやりやすくなりました。
明確な意図とご招待、この2つはパフォーマンスにおいてとても大事なことだと改めて実感いたしました。

安定感とは?

f:id:nikoniko-alexander:20210511180254j:plain実験だと思ってやってみていただきたい事があります。
まず立った状態で、出来るだけじっと立っていようとしてみて下さい。

「じっとしなければ…」と思うだけでプレッシャーに感じる方もおられるかも知れませんが、その場合にはそのプレッシャーに対する自分の反応を味わってみて下さいね。

さて、じっとしていると思っているその中に、わずかな動きが感じられるでしょうか?
それは足の上でバランスを取ろうとする動きかも知れないし、呼吸によって横隔膜や肋骨が動いている動きかも知れません。

それらの微細な動きに気が付いたら、今度はそのわずかな動きを少しずつ強調するように、動きの幅を増やして行きましょう。そしてどんどん動きを大きくして行って、もしもっと動きたい欲求があれば、同じ所に留まらずにどんどん動いてみましょう。
大きく身体を動かしてみながら、例えば腕を伸ばした時に、腕以外の他の部分でどんな風に身体全体のバランスを取っているのかに意識を向けてみましょう。

あるいは右脚を前に出した時、左脚や他の部分は何をしているでしょう。

そして今まで意識を向けた事のない部分に意識を向けながら気持ち良く動く事が出来たら、今度はその動きを徐々に小さな動きにして行きます。

小さく小さくして行って、最後にはまた元の両足を床につけて立っている状態に戻って行きます。

戻って来た状態は、これらの動きをやる前とはどこか違っているでしょうか?

じっと立っているという状態の中に、前よりも小さな動きを感じる事が出来るでしょうか?

足が床へ接地している感覚は以前と変わりましたか?

今まで意識にあげて来なかったような、微細な動きに注意が向きやすくなっている自分に気が付くかも知れません。

今皆さまに体験していただいた、この動きと気付きの練習は、イギリス在住のアレクサンダーテクニーク教師であるルシア・ウォーカー先生に教えていただいたものです。ルシアは立っている時に調整しているような微細な動きの事を「Micro Dancing」(マイクロ ダンシング)と呼んでおられます。
私は教わった事を自分なりに取り入れてやっているので、ルシアが教えて下さったのと全く同じではないかも知れませんが、これは普段の動きに意識的になるには、とても良い練習だと思います。

この気付きはまた、楽器の演奏をする時にも活かせる事です。

例えば、楽器を構える上での「安定」とは何なのか。

特に楽器を演奏していると、身体では同時に色んな事をやらなくてはならないので、楽器そのものは出来るだけ安定させたいと思うのは自然な事だと思います。

ただ、「安定=固定する事」だと思っていると、二胡の場合だと上から楽器を押さえつけたり、逆に楽器の下にある自分の左脚に力を入れたり膝を上に上げたりして、楽器をじっとさせようとしたりしがちです。

そうすると何が起こるかというと、逆に安定から遠ざかってしまう上に、必要以上に押さえ込むことによって音色も悪くなってしまいます。
特定の場所に力を入れて「ギュッと固めてしまう」ために、全身が連動して動きにくくなってしまいます。

これからは、「安定=動ける事」だと思ってやってみませんか?
「どんな変化があるかな?」という好奇心を持って…。

持っとかないと落ちちゃう?

f:id:nikoniko-alexander:20210510195931j:plain先日、二胡のレッスンをしていた時のこと。
ある生徒さんが、ポジション移動の時に手が上下に滑りにくそうにされているのに気が付きました。滑りにくいからポジション移動の瞬間に毎回余分な力が入り、その結果、より一層滑りにくくなっているようでした。

そこで、ポジション移動のために左手を上下させる時の動きを、生徒さんと一緒に一つずつ再確認してみました。

①親指をゆるめる(親指つけ根の関節から外側へと動かす動き)
②人差し指のつけ根の関節(中手指節関節)の辺りに竿の重さが乗る
③②の場所で手を下あるいは上へとスライドさせる(手首がほんの少しその動きをリードする)

すると、生徒さん:「あ〜、向こう側へ竿の重さを乗せても二胡は、倒れて行かないんですね!」

よくお話を聞いていると、これまで何となく「離したら落ちちゃう」ような気がして、親指と人差し指の両方で、挟み込むように力を掛けていたという事でした。

これまでの認識が変わる体験をされてから、もう一度ポジション移動にチャレンジされたら、今度は必要な力だけでスーッと滑らせることが出来るようになりました。

この生徒さんとも、ポジション移動を学ぶ時点で、一つ一つの動きを確認しながらやっていたとは思うのですが、本当に必要な力の加減を伝えるというのは、なかなか難しい事です。見た目だけでは伝わりにくい部分でもあります。

また、同じ内容を伝えているつもりでも、その時の生徒さんの状態によっても受け取れる情報は変化します。生徒さんが何を考えてそうしておられるのか、という情報集めの過程もとても大切です。

何度も何度も、あらゆる角度から伝えていく工夫が、教師の方には必要ですね。

そこでアレクサンダー氏の発見をどのように使えるか考える事が、私にとっては大きな助けになっています。

「具体的で実行可能な指示」を自分の身体に送ることが出来るようになれば、確実に上達して行く事が出来るようになるのです。

呼吸と姿勢

f:id:nikoniko-alexander:20210424080509j:plainある時、アレクサンダーテクニークのレッスンで二胡を弾くアクティビティをしている時に、先生に「あなたは胸の前の方で呼吸しているわね。後ろにも空気が入ると思って呼吸したらどうなるかしら」と言われました。

二胡は弓で弦を擦って音を出す擦弦楽器なので、それまでは呼吸が直接演奏に関係あるとは考えていませんでした。

そういえば、肺の大きさって普段意識しないけど、上は鎖骨の少し上まで来ていて、下は横隔膜のところまで。肋骨の中に収まっていて、肋骨の立体感を考えると、後ろは背中の方まであるんだった…と確認して、後ろに空気が入ると思って呼吸したら、沢山空気が入って来て、その結果、演奏の時の音の力強さが変わりました。
しかも、そのための労力はほとんど要りません。

こうやって空気を背中の方まで入れよう、と意識している時には、姿勢は身体全体でパワーを出せる状態になっているのですね。
それまでよりも背中を意識に含めることによって、腕を動かすための広背筋や僧帽筋も、より働きやすくなるような気がします。

このレッスンの後、自分で演奏をしている時に、いつものように「頭が動いて自分全部がついて来て…」と自分に声掛けして、順番にひとつひとつ意識的になる事で自分を整えるという事をやっていました。

その結果、自分全部を統合的に使う事が上手く行っている時に、呼吸に目を向けてみると、このレッスンの時と同じように肺全体が使われていて、背中や鎖骨の上にまで空気が入って来ているのがわかりました。

今までは直接演奏に関係ないと思って意識を向けて来なかったけれども、自分全部が使えている時というのは、当然呼吸も上手く行っているものなのですね。

この時を境に、呼吸にももっと意識的になろうと思うようになったのでした。

探偵ワーク

前回の記事https://nikonikoalex.com/entry/2021/04/17/091323でも述べた通り、ここ最近、肘の痛みが続いています。
それで、自分の行動の観察をして情報集めを続けております。いわゆる探偵ワークです。
それで現時点までに分かった事がいくつかあります。

①会社でパソコンを使った後や使っている最中に痛みがある。
二胡を弾いている時には痛みはない。
③パソコンを使う仕事はもう何年もやっているが、これまでにこんな痛みが出て来た事はない。
④他の動きをしていても疲れやすいと感じる事が多い→コロナ禍で運動不足になっていて、全身の筋力が落ちているから。
⑤作業している場所は、後ろを人が通る事があるので、後ろにスペースを取る事が出来ず、場所にゆとりがない。
⑥限られたスペースで作業するため、右手を前ではなく、やや右の方に伸ばしながらやっている。

以上が、観察により集められた情報。
これらの情報より導き出された分析結果は、パソコンで作業する時に、何か不必要で有害な動きをしているかも知れないという事でした。

まず、③のこれまでに出てきた事がない痛みであるという事からは、④の筋力が落ちている事が原因であると仮説を立てる事ができます。今まで使えていた筋肉が働けなくなって、代わりに違う所で頑張ってしまって痛くなって来たかも知れません。

①のパソコン使用時や使用後に痛みが酷くなることからは、パソコンをやっている時の動きを見ていく必要がある事を教えてくれます。

⑤のスペースの問題からは、⑥の腕の使い方が導き出されました。

このように、観察した事をもとに、分析して行きます。

自分で分析した結果、腕を右の方へ持って行く時に何か痛みの原因があると思いました。それが分かってからは、出来るだけ身体に近い所でマウスを使うようにしたりと、工夫をしながら実験しておりました。

そして今日、アレクサンダーのレッスンがあったので自分の分析結果を持って、アクティビティとして先生にも一緒に考えていただきました。

全身の使い方は上手く出来ているそうで、問題は、ある程度自分で導き出した通り、右へ手をやる時の腕の動きを「自分はどうやっていると思ってやっているのか」という所でした。

動きを見ていただいたら、本当にわずかな動きなのですが、私は「手を右へ」と思った瞬間に、肘をほんの少し先に右方向へ行かせていたようでした。これは先生に観察していただかないとわからないレベルの繊細さでした。

それで、その動きをまず頭の中で整理すると、肘が動かなくても肩関節の回転のみで出来る動きだったのです。

考えを整理した後で、その動きをやってみたら、ずっと簡単に負荷を掛けずにやる事が出来ました。

もう一つの要因は、マウスを握る時にそこへ加えている圧力でした。
マウスに置く手は自分の手の重さのみを乗せる感じで良く、それ以上の圧力は要らないハズなのですが、動きを見ていただいたら、クリックしたり、何か形を描こうとする時に、無意識に必要以上の圧力を加えてしまっていたようでした。
これは、先日の自転車のハンドルへの圧力の例ともリンクしますね。

これらの事を、今日自覚できたので、今後その作業をやる時には、思い出せる機会が増えることでしょう。

始めは意識的に何度も思い出すようにしていると、だんだん当たり前にそれが出来るようになる→そうすればもう思い出す必要もなくなるのですね。

明日からまた試せる事が出来て、楽しみです。

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こちらは今日、ご一緒に学ばせていただいているトレーニーの方が貸して下さった「トラックボール」。親指でマウス操作が出来るらしいです。
以前に私がレッスンで肘の痛みの事を言っていたのを覚えていてくださり、持って来てくださいました。ありがたいです🙏こちらも早速試してみたいと思います!

感覚を使う時

f:id:nikoniko-alexander:20210417091239j:plain今朝、いつものように自転車に乗っている時にふと、考えが浮かびました。「ハンドル持つのに本当にこれだけの力が要るのかな?」と。

そこで「頭が動いて自分全部が付いて来て」→「ハンドルを持つのに必要な力で持つ事ができる」と思ったら、腕や身体全体が凄く楽になったと同時に、今まで無意識に腕や手を不必要な力でハンドルに押し付け過ぎていた事に気付く事が出来ました。

このように、人は気付いた瞬間から使い方を変えることが出来るのです。

今朝なぜ、ハンドルを持つ力について考えたかというと、それにはきっかけがありました。

ここ数週間、右肘に痛みを感じる事が続いていたのですが、今朝も自転車に乗っている時に右肘に痛みが走るのを感じて、自然とそこに意識が行きました。
その後、よく注意を向けてみると、自転車に乗っている時の負担感は、肘だけでなく、腕全体にわたっている事がわかりました。

「痛み」はそこへ注意を向けるきっかけになります。「痛み」がやって来るのは、使い方に何か問題がある事を知らせてくれているのです。(怪我や病気が原因でない限り)

以前の記事で「感覚」を当てにしてはいけないと書いた事がありますが、「感覚」はこういう時に利用できるのです。
[感覚は後から]https://nikonikoalex.com/entry/2021/04/07/175733

ここ最近出てきた私の肘の痛みについては、自分で探求中なのですが、だんだんと原因がわかって来た所です。

この探求の過程もなかなか面白いのですが、この過程はいわゆる「探偵ワーク」なのです。
どこかに原因があるはずなので、それを探るために自分のやっている動きをひとつひとつ解析していくのですね。

生きること=考え続けることなのだなぁと改めて思います。