今朝、いつものように自転車に乗っている時にふと、考えが浮かびました。「ハンドル持つのに本当にこれだけの力が要るのかな?」と。
そこで「頭が動いて自分全部が付いて来て」→「ハンドルを持つのに必要な力で持つ事ができる」と思ったら、腕や身体全体が凄く楽になったと同時に、今まで無意識に腕や手を不必要な力でハンドルに押し付け過ぎていた事に気付く事が出来ました。
このように、人は気付いた瞬間から使い方を変えることが出来るのです。
今朝なぜ、ハンドルを持つ力について考えたかというと、それにはきっかけがありました。
ここ数週間、右肘に痛みを感じる事が続いていたのですが、今朝も自転車に乗っている時に右肘に痛みが走るのを感じて、自然とそこに意識が行きました。
その後、よく注意を向けてみると、自転車に乗っている時の負担感は、肘だけでなく、腕全体にわたっている事がわかりました。
「痛み」はそこへ注意を向けるきっかけになります。「痛み」がやって来るのは、使い方に何か問題がある事を知らせてくれているのです。(怪我や病気が原因でない限り)
以前の記事で「感覚」を当てにしてはいけないと書いた事がありますが、「感覚」はこういう時に利用できるのです。
[感覚は後から]https://nikonikoalex.com/entry/2021/04/07/175733
ここ最近出てきた私の肘の痛みについては、自分で探求中なのですが、だんだんと原因がわかって来た所です。
この探求の過程もなかなか面白いのですが、この過程はいわゆる「探偵ワーク」なのです。
どこかに原因があるはずなので、それを探るために自分のやっている動きをひとつひとつ解析していくのですね。
生きること=考え続けることなのだなぁと改めて思います。